237028 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

児童相談所の真実

児童相談所の真実

簡単な今までの経緯と児相との関わり

息子(現在小学6年生・11歳)は、明るく元気で誰からも好かれる、小さい子には面倒見の良いとても優しい思いやりのある良い子です。
しかしその反面、年齢よりも行動が幼く、年齢的な考え方を出来る子ではなく、何度も同じ様な注意を受ける子供でした。

普段から注意を聞く事が出来ず、危険行為や先を考えない失敗を繰り返していました。
初めは促す様に話し、わかったと言う言葉のすぐ後で、同じ様な行為を繰り返していました。
解る様に言葉で促し、それでも聞かなければだんだんと口調がきつくなり、最終的には手があがりました。
それは愛情の現れで、危険な事はしっかり理解してもらわないと怪我をしたり、命に関わる重大な事故に繋がり兼ねないと言う懸念からでした。

その事で悩みアドバイスが欲しくて児童相談所に相談してきました。
安易に「児童」の事を「相談」する場「所」だと思ったからです。

母子家庭で、3歳から小学3年生まで母方祖父母の近くで育った息子は、祖父母の初孫であり目の中に入れても痛くない存在で甘やかされていました。
母親である私が、祖父母に対し「年齢にあった教えをして欲しい。ただ甘やかすのではなく、自分で出来る事は率先してやらせて欲しい」と常々言っていたにも拘らずそれを無視した状況の中育ちました。
そのせいか考え方が幼く、やり慣れない事は人任せにする面がありました。
主人は、そう言う面を少しでもなくし、年齢に見合う考え方を教えていこうとしてくれました。

私達夫婦は、平成18年4月に再婚をしました。
同年5月6日異父妹が誕生しました。息子は私母親の連れ子で、主人とは血の繋がりがありません。
しかしながら、主人は色々な遊びの中から交流を図り、自分が幼い頃経験した事を息子にも経験させようと一生懸命でした。

その一つとして、主人が幼い頃カブト虫取りをして遊んだ場所に連れて行き、カブト虫の取り方を教え一緒に捕まえて来て、飼い方を説明し、飼うにあたっての土の湿らせ方・どの程度の湿り具合、エサの与え方、飼育箱の掃除の仕方など丁寧に教え、それだけでなく自分で調べる事も促しました。

息子本人は男の子と言う事もあり、虫が好きで自主的に飼いたいと言っていたので、観察する事を促し学校の自由研究の宿題として飼育をさせました。
その中で、目先に楽しい事があるといい加減に世話をし、霧吹きで湿り具合を注意しながら水をかける行程を霧吹きの口を外し、そのまま水を流し入れ土を洪水状態にし
カブト虫を溺死させる事態になりました。

「自然の中にいるカブト虫を捕まえて来て飼育箱と言う狭い所にいれ、自由にエサをとったりする事を出来ない様にしたのは○○なんだよ。このカブト虫達にとったら、○○は神さまと一緒なんだよ。だから、出来るだけカブト虫達が自然にいる状態を作ってあげなきゃ可哀想だよ。カブト虫達だって生きてるんだから。○○と同じ命なんだよ。」
と言って聞かせました。

その時は「解った、可哀想な事をした」と言っていましたが、日を置くと忘れてしまい何度も同じ事を繰り返し注意を受けました。何度も同じ事を注意される事から私達もだんだん、口調がきつくなっていきました。

何回目かの注意の時、息子は逆切れとも言えるパニックを起こしました。
何度も繰り返す注意から、
「そんないい加減な飼い方をするのなら、捕まえた所に返しにいこう」
と言うと、泣き叫びながら「俺のカブト虫なんだからどうしたって良いじゃないか!!」と大声で叫びました。
虫であろうがなかろうが、命の重さは一緒だと教えて来たにも拘らずこんな事を言う息子に私達は本気で怒りました。

日常の些細な事からの注意が、注意に留まらなくなり怒る事が増え、どうしたらいいのか解らなくなり、平成18年8月中旬、育児・養育に悩み市の家庭支援センターにインターネットを通して相談を始めました。
相談を始め、話しを聞いてもらっていましたが、なかなか改善する様なアドバイスがありませんでした。


平成18年9月5日、学校の宿題をいい加減にする事から注意が怒るに変わりました。
丁度夕飯時で、「宿題をちゃんと終わらせないのならご飯は食べなくていいよ」と言いました。

「嫌だ。お腹空いた」と言う息子に主人が「料理クラブなんだから、冷蔵庫に入っているもので自分で作ってみたら?」と言うと「家の冷蔵庫にはろくなものが入っていないじゃないか!」と大声で叫びました。
「もう一度言って見なさい」との言葉に何の躊躇もなく
「家の冷蔵庫にはろくなものが入っていないじゃないか!」と再び繰り返しました。

そんな問答が続き「こんな家いたくない!」と言い始め、「そんなに嫌なら荷物をまとめて出て行きなさい」となってしまいました。
夜9時もまわっていたのですが、玄関の外に出し鍵を閉めました。
出された事に反省し「ごめんなさい」の一言があれば入れるつもりでいましたが、玄関の外で大声で
「入れて!!開けて!!」と叫び、ガチャガチャドアを揺らすだけでした。

しばらくすれば反省するかと思いそのままにしました。しかしそのまま息子は駅に向かい、駅で保護され今まで住んでいた母方祖父母の所へ行ってしまいました。
確かに厳しかったかもしれません。でも、普通なら嘘でも「ごめんなさい」と謝り、家の中に入れてもらう事を考えるでしょう。
悪い事をして注意を受けたら謝る。そう言う事が出来ずにいました。


祖父母の所で、何故怒られてこうなってしまったのかは一切話しはせず、怒られた事実のみを話し、夜9時過ぎと言う遅い時間に家の外に出した私達を悪く受け止めた祖父母は息子を囲い込み返そうとしませんでした。

本来なら、怒られて外に出された経緯を聞き、孫の肩を持ちながらも私達親に注意をしつつ、子供を家に帰す様に促すのが理想の祖父母だと思います。

しかしながら母方の祖父母は、悪い親が可愛い孫を追い出し自分達の所へ来た事をこれ幸いと帰る様に促す事は一切せず、自分たちの元に置こうとしました。

息子が出て行って、一週間経った頃私達は祖父母の所に行って息子と話しをし、息子が納得した上連れて帰りました。


その頃から児童相談所とも関わりを持つ様になりました。
市の相談機関と児童相談所。両方に私達の至らない部分もさらけ出し、
息子をどうにか年齢に見合う考え方を出来る様に促せる術を教えて貰おうと必死でした。

しかし、話しは聞いてくれるものの、具体的な助言・アドバイスは一切なく、
「こう言う子にこうしたら、良くなった」や「これをしたらいけません。こうしなくては」等と言う指導も一切ありませんでした。

平成19年2月頃、小学校の先生をしていた事がある友人に相談した所「アスペルガー症候群かもしれない」と聞き、市の家庭支援センターの担当者に話しました。

都の機関で「医療治療指導課」と言う所がある事を聞き、そこでは行動観察をしながら検査をし状況が判断出来ると言う事を知りました。

児童相談所の担当者と息子とその施設を見学に行き、学校に支障のない春休みを選び入所して調べてもらう事になりました。

本来なら2週間は必要な所、家族行事の為平成3月23日から4月3日までの10日間に短縮してもらい入所しました。

その中で解った事。
「アスペルガー症候群とは診断出来ないが、アスペルガー的傾向と重なる部分がある」
と診断されました。今後どういう風に対処していったら良いかのアドバイス・助言はありませんでした。

私達は、息子に障害とは言えないけれどそれに近いものがあると解ってからは、それまでしていた漢字の復習を止め、学校で出る宿題のみに重点を置いて丁寧にやらせる様にしました。
息子は小学校3年生の時点で、1・2年生の漢字を殆ど覚えていない状態でした。

4年生に上がる時に転校する予定があったので、4年生になるまでに1年生から3年生までの漢字を80%は理解出来る様に指導してきました。
それは転校先で漢字が出来ない事でバカにされたりいじめにあう事のないようにする為でした。
転校するまでの時間で本人も努力しました。

4年生に上がった時に
「今まで覚えて来た漢字を忘れない様に復習しつつ、新しく習った漢字も忘れない様に練習しようね。せっかく習った漢字を忘れて、また覚え直すと言う大変な事にならない様に頑張ろうね」
と促し、本人も理解し努力している様でしたが
私達がチェックをしないといい加減にやっていました。

自宅で宿題以外に漢字練習をさせていましたが、アスペルガー傾向があると解ってからは宿題以外の漢字練習を一切止め、自主性に任す様になりました。

「医療治療指導課」に入所後も児童相談所職員との面談は続いていました。
市の家庭支援センターでの面談は息子のみになっていました。

普段から注意される事が多く、自分で納得のいかない事があれば発達障害支援センターに行って、どうして注意され怒られる事になってしまったのか説明をし、担当の方に聞く様に促していました。
第3者の意見を聞く事も大事だと思い定期的な面談の他に、何かあった時には発達障害支援センターに行く様にしていました。


一年近く児童相談所に相談をしてきました。
「注意で済ませ、怒る事を止めたい。ましてや手を挙げる事などしたくない。どうしたらいいのか助言して欲しい。」と訴えてきました。

しかし具体的な助言・アドバイスや指導は一切なく、私達はどうする事も出来ないでいました。

5年生に上がり、クラス替えをし担任の先生が替わり、担任の先生とは密に連絡を取り息子の対応に当たってきました。
とても親身になって下さる先生で、私達はとても頼りにしていました。
今まで宿題の事で注意をしていた部分を先生の方から言ってもらう様にお願いをし、快く引き受けて下さいました。
こうして私達が注意する事を少しでも少なくしようとしていました。

児童相談所には、私達が息子に対し行っている事を包み隠さず全て打ち明けてきました。
それは偏に的確な助言・アドバイスが欲しかった為です。

しかしながら、助言・アドバイスする事はなく、私達が行った至らない部分を指導する事もなく、秘密裏に「虐待」として処理をしていました。


そんな事も知らず、私達は平成19年6月14日、一時保護として息子を児童相談所に預けました。
一時保護の決定通知には
「家庭関係改善のため、一定期間本児が離れて暮らす事が必要なため」
と書かれており「虐待」の文字はありませんでした。

一時保護に至ってから約一ヶ月後の平成19年7月12日、息子と会い話しをしましたが家には帰りたくないとの答えでした。
しかしこのままで良い筈もなく、児童相談所職員には、息子を家に帰して欲しいと言いました。
平成19年7月24日、児童相談所にて担当者・心理伺・係長と私達夫婦で話しをしました。
その中で初めて心理伺から
「息子さん一人に考えさせて行動させる事は難しい。大人が一緒に言葉の援助をしながらやっていかなければならない」
と言う助言的なものを聞きました。
だからと言って具体的な助言ではありませんでした。

そして息子は返せないとの返答でした。

何故返せないのか、どうしていかなくてはいけないのか全く答えを出さず、
私達が「息子に対しどの位の期間、どんなカリキュラムでどんな方向付けをし家庭に変えして行くのか明確にして欲しい」と言う問いに対しも返答する事もありませんでした。


平成19年7月28日児童相談所に一時保護の不服申立をする。提出場所が都庁と言う事で後日(平成19年8月1日)提出し受理されました。
(この不服申立の提出場所、担当はおろか担当の上司である係長までもが知りませんでした。)

納得のいく説明を全くしない児童相談所に大事な息子を預けておいては家族が崩壊してしまうと言う懸念から息子がお世話になっている養育家庭を少ない情報で調べ上げ、平成19年7月29日奪還すべく行動を起こしました。
後にこの事を「虐待」とし、一時保護の変更書類が送られてきました。
その中には
「虐待の疑いにより、児童相談所所長が一時保護先を変更する必要があると認めたため」と書き記されていました。

養育家庭にて息子を連れ帰ろうとした時に大騒ぎになってしまった為、
警察を呼んでもらい警察に介入してもらって話しをしました。
警察では
「親として当然の事とは言え褒められた事ではない。今後同じ様な事のない様に。しかしながら少ない情報で一般市民が養育家庭を調べたとは大変な想いだっただろう。児童相談所職員とはよく話し合って下さい」
と半ば同情の言葉をかけられました。

児童相談所職員2名(担当者・係長)が警察署に来てかなり長い時間話しをしました。

その中で私達がどんなに息子を大事に思っているか、これからどうしようと考えているかを話しました。
その中で児童相談所に相談して来たものの何ら助言を貰えなかったと訴えました。
担当者は
「わたしの言葉が足らず申し訳なかった。○○くんに今話した想いをきちんと伝えてあげて欲しい」と言われました。
しかし現在までその様な場を設けてもらった事はありません。

その後の話し合いでも息子を家に帰す方向にはならず、
何故返せないのか明確にする事もせず現在に至ります。

また28条申請の申立準備もされていました。

私達は家の中に関しカメラを付けて家の中をオープンにし、逐一連絡を入れ報告をする。

と提案しても却下されました。どうしたら息子を家に帰して貰えるのかを聞いても答えてもらえません。


結局この一件から保護先が代わり、2学期は一度も登校しないまま転校になりました。

転校になった事は、施設に預けた私達をよく思わない母方祖父母がこれ幸いと、可愛くて仕方のない孫を手元に置きたいが為、親権剥奪の裁判を起こしました。
裁判の中で児童相談所の話している事が認められ親権を剥奪されてしまい、
祖父母の了解を得て一時保護から措置に切り替えた事が原因です。

児童相談所には私母親が学校の役員をしている旨を話していたにも拘らず一切の連絡もせず、
転校させていました。
些細な事ですが、2学期から一切登校させていない事も連絡をせず、給食費が自動的に引き落とされていました。
そう言う些細な連絡すらしない児童相談所の在り方に疑問を感じます。

本当に家族として大事に思っている息子を取り上げているにも拘らず、その家族に対する配慮に欠けています。

一時保護されてから、すっと息子の様子を教えて欲しいと言うお願いも連絡してくれたのはわずか数回。

私達の方から連絡しない限り様子を教えてくれる事はありません。
これが大事な家族である息子を預かっている機関のする事でしょうか?

私達は今、親権剥奪された事に即時抗告を出し親権を取り戻すべく戦っています。
元々折り合いの悪かった母方祖父母との関係をより悪い方向に向かわせたのは、児童相談所だと言っても過言ではありません。

児童相談所が明確な理由も提示せず息子を返せないと言ってから、インターネットにてブログを立ち上げ児童相談所について訴えてきました。
その中で「発達障害支援センター」と言うものが各都道府県にあり、相談に乗ってくれると言う事を教えて頂きました。

教えて頂いて直ぐに東京都にある「発達障害支援センター」に連絡を取り、私達親の話しを聞いてもらいました。

4年生の3学期に息子が書いた調べ学習の文集を持参し見てもらいました。
発達障害支援センターでの話しは児童相談所で1年近く相談して来て受けられなかった助言・アドバイスを1時間と言う短い時間で、的確にして頂きました。

面談前に問診票的な今までの子供の気になる部分のエピソードを提出していましたが、私達が息子に対し「こう注意をしたら...」
先回りして
「こうなったでしょ?こう言う時はそうしてはいけなかったのよ。こういう風に促さなければ。」

と発達障害に詳しい専門家だと認識出来る話しをして下さいました。
文集を見せた所
「発達障害を持つ子供の典型的なものです。名前の羅列は出来るけれど、説明や自分の気持ちを文章にまとめる事は非常に苦手な分野。それが明確に出ています。」
とおっしゃいました。

また「児童相談所とも連携をとり、お子さんと向かい合っていきたいと思います。こちらから児童相談所に連絡をとってもいいですか?」と言って下さいました。
私達は直ぐさまお願いをしました。

しかし、児童相談所は発達障害支援センターとの連携をとって息子に向き合っていく事を却下しました。


本当に子供の事を考えている機関なら、民間の専門機関とも連携を取り合い子供がより良い方向へ進む様に考えてくれると思いますが、自分たちの保護所で何をしているのか解らない囲い方を断行しました。

児童相談所が必要な機関だと言う事は理解しております。
しかしながら、個々の環境が違う為、臨機応変に対応しなければならないと思います。
その事を忘れ、一つのマニュアルに押しはめて一様に対応します。

それは家族を崩壊させる行為でもあり、子供の事を第一に考えている機関ではないと感じる部分です。


私達が軽度でも発達障害を持つ息子に対し厳しかったかもしれません。それは否定しません。
しかし普通の年齢ならこのくらいは出来るだろうと思って来た事で、私達が子供の頃を思い返し出来ていた事を少しハードルを下げて教えて来たに過ぎないのです。

その事に付いても児童相談所には何一つ隠す事なく話してきました。

児童相談所が私達を「虐待親」だと言うのであれば、手を挙げた事実も話さず隠して来たでしょう。
しかも家には息子の妹、2歳の娘がいます。
「虐待親」だと言うのであれば、娘に危険が及ぶ可能性があり直ぐさま保護しなければならない筈です。
しかしながら娘は私達と一緒に生活しすくすく成長しております。

これはどう言う事なのでしょうか?

児童相談所が私達に対しして来た事は、的確な対応とは言えないと感じずにはいられません。



© Rakuten Group, Inc.
X